商品紹介

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品物の詳細、どうぞお気軽にお問い合わせください

行信僧都発願経巻末 (法隆寺 虫喰経)
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瑜伽師地論第八十二

神護景雲元年(767年)


法隆寺東院伽藍(夢殿)の復興に尽力した僧、行信が、国家と四恩に報いて一切衆生を救わんと発願し、法華経、最勝王経、大般若経、瑜伽師地論などを書写せしめた経の遺品です。
行信の在世中に完成をみなかったので、弟子の孝仁らが師の遺志を継いでその功を成し遂げ、夢殿に納めました。
天平神護三年九月五日付で準備されていた跋文は、八月十六日に改元となったため、急遽「神護景雲」と書き改められました。
長寛二年に施した、金箔散らしの裏打ち修理により虫害が生じたことから「虫喰経」と呼ばれています。

京都国立博物館に瑜伽師地論第二十一が巻物で収蔵されていますが、字の特徴が似ています。
写経生が書写する手本のような文字とは異なり、天平写経のなかでは個性的で、墨跡を見るような趣きがあります。

虫喰いの欠損は多くても、貴重な巻末です。


本紙 50㎝ × 25.7㎝
軸装全体 52㎝ × 94㎝

古くに巻物に仕立てられて伝わったものを、表装にしました。
詳細はお気軽にお問い合わせください。

李朝秋草文水滴
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鄙びてかわいらしい菊の絵が沁み入ります。
敢えて欠かさせたのか、と思うほど、注ぎ口が欠けている水滴が多いですが、こちらも欠けています。


18〜19世紀
4.6㎝ × 4.7㎝ 高 2.3㎝


2023東美アートフェア出品作品
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辻ヶ花裂
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細い片を横に継ぎ、元の文様に戻しています。
ちくちくちく、、
と絞り糸の細かな縫い目に、完成までの気の遠くなるような作業にひたすらいそしむ精神性が見えて、泣かされます。
小さな額装の辻が花ですが、桃山時代のあふれる気分が充分に味わえます。


16㎝ × 7㎝
杉の額装 32㎝ × 17㎝

桃山時代


2023東美アートフェア出品作品
hold

金銅ニ仏並座像
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天平四年銘 東魏時代
高さ 6.1㎝

二仏並座像は、「釈迦の説法中に塔が涌出し、中にいた過去仏である多宝仏が釈迦を讃えて塔内に招き入れ、並んで坐した」という場面を表現しています。
衣や光背を隙間なく線彫りで埋め尽くし、面長で厳しい表情の北魏仏に比べて、笑っているような表情や丸まった袖に親しみのわく小金銅仏です。

落とし蓋の桐箱があります。

2023東美アートフェア出品作品
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木彫袖残欠
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如来、または地蔵菩薩の袖の残欠です。
木が自然と衣になったような風情には、決して仏師の技術だけではない、祈りの深さ、精神の高さを見ることができます。
風化はしていますが、皇族や貴族にとって、全てが美しくなくては承知できなかった時代の断片です。

平安時代 12世紀
像高 58㎝ 台を含め 69㎝

桐箱有り

法隆寺百万塔
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天平時代
高さ 21.4cm

「青花の会|骨董祭」の、草友舎の1日目(6/9より販売)の推奨品です。
https://www.kogei-seika.jp/seikafes/2023.html

百万塔の造営は、764年に勃発した恵美押勝の反乱を平定後、亡くなった兵士の鎮魂と国家安寧の祈り込めて、称徳天皇の発願により始まります。
『無垢浄光経』の諸説に従い、百万基の塔を造立し、その各々の塔心に陀羅尼経を納入したもので、大和八大寺など十箇寺に十万基づつ奉納されました。
この一大事業を、四年間に完成させたと伝わる淀みない手仕事の美しさは、当時の職人の木材を扱う技術の高さを示しています。

一見、私的な感情の入る余地のない造形に身が引き締まりますが、ヒノキに白土を施した風合い、柔らかな線を含む佇まいには、唐の影響を色濃く受けた時代であっても日本的な美意識も反映しており、天平時代の古建築を彷彿させてくれます。

百万塔は現在、法隆寺に伝来するのみで、明治に興った廃仏毀釈で荒れた寺の復興のため、その一部が民間からの寄付金に応じて頒布されました。

*    

こちらの百万塔は、三層のうちの上層が一部欠けて同時代の別片を継いでいますが(最後の画像)、全体に白土も多く残っており、状態はすっきりとして良好です。
世界最古の印刷物、自心印陀羅尼有り。

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松鶴鏡
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常に緑を保つ松、千歳を寿ぐ鶴。
当時の貴族たちの生活のなかで洗練された感覚、『もののあはれ』があまねく現れています。
経塚出土の錆味が湖面に映る空のようです。

径10・5㎝
平安時代 (12世紀)

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古銅兎形香炉
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おっとりとした性格とうかがえる兎です。
よく見ると、かわいい顔をしています。
唐物風ではなく、琳派の絵画を立体化したような、ゆったりとした趣きがあります。


高さ、全長共に 約10.5㎝
〜江戸時代前期

仕入れた時は蓋が本体に落ちやすかったので、蓋側に小さな爪を付けてとまるようにしました。
肌合いに使用感はありますが、この表情に免じていただきたい香炉です。

ご売約

金銅菩薩立像
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北斉〜隋時代
像高 7.2㎝
和泉市久保惣記念美術館「六朝時代の金銅仏」所載

小ささを感じさせない精作で、鍍金もよい、
と紹介されています。
思慮深い表情、細かく表された瓔珞や水瓶など、3㎝にも満たない体躯に見どころがきゅっ、と凝縮しています。

仕込み箱有り


2023東美アートフェア出品作品
hold

木彫菩薩立像
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像高 37㎝ 台は含まず
平安時代

興福寺伝来の千体観音の可能性もありますが、彫刻のもつ量感と作行きから、念持仏として単体で納められた像のようにも思えます。
この像を初めて見たとき、
「村の美しい娘さんをモデルにしたような、素朴で、ひなびた優しさを持っている」
と井上靖が書いた、湖北の石道寺の十一面観音を思い出しました。
胸に木が打たれている理由は、想像するよりほかにありませんが、はにかむような表情の、この像の愛らしさは格別です。

台座は彫刻家のかたに作っていただきました。

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七宝菊花形釘隠
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幅 8.9㎝ 
江戸時代

大ぶりで厚みのある七宝釘隠です。
花弁の輪郭に鍍金を施し、白、青、緑の七宝の規則的ではない配置が効いています。

至文堂「日本の美術 第322号 七宝」所載

この釘隠しは江戸中期として紹介されていますが、そのなかには細見美術館所蔵の、桃山〜江戸初期で知られる十弁花形釘隠も含まれています。
通じるデザイン感覚があることから、こちらの菊花形釘隠も江戸中期よりも遡ると考えています。

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均正忍冬唐草文軒平瓦
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山村廃寺跡出土
幅  30㎝ 奥行き 36㎝
白鳳時代

法隆寺のものと並び、この時代の様式を代表する軒平瓦のひとつ。
東京国立博物館、奈良国立博物館、飛鳥地方の考古資料館などに同范の瓦が所蔵されています。

筆で描いた線ような、のびやかに広がる唐草文が施されています。
後ろに向かい斜めに欠けてはいますが、前面が全て残っているのは貴重で、また、横からの眺める姿にも時代の特徴があらわれており、存在感があります。
山村廃寺は、奈良県の山辺の道沿いにあった寺院で、今は金堂、八角円堂、塔の遺構を残すのみです。

2022 東美アートフェア図録掲載品

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三十三間堂伝来 仏手残欠
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高さ 17㎝(台含む)
鎌倉時代

三十三間堂の名で知られる蓮華王院は後白河上皇の発願、平清盛の協力を得て1164年に創建されました。
1249年に市中の大火で焼失し、その後間もなく後嵯峨上皇により再建された際に納められた千手観音菩薩像の仏手のひとつです。
手首を飾る腕釧(わんせん)は江戸時代のものですが、ひと粒の瑠璃の硝子玉も効いています。
等身大の千体の千手観音像は、慶派、院派、円派の仏師に分担され、信仰心のうえで数多く使られたならではの、手慣れた仕事の美しさがこの仏手にうかがえます。
千体の千手観音像が、中尊を中心に整然と立ち並ぶ三十三間の堂内の世界を偲ぶことができます。

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十一面観音懸仏
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像高 7.5㎝ 盤の径 15.5㎝ 
鎌倉時代

涼やかでひきしまった表情、縁が薄く裏に木を嵌めていない盤から、13世紀の作と思われます。
ひと粒の瑠璃の硝子玉の瓔珞も当時のもので貴重です。


紫紙金字華厳経 入法界品
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東大寺伝来
天平時代

紫は古代より高貴な色とされており、冠位十二階においても、最も地位の高い臣下の冠の色が紫でした。
ムラサキソウで染めた紙に書写した経文は輝きが増すよう、一字一字猪牙で磨かれています。
写経所の中でも特別な「写金字経所」において、優秀な写経生により書写されました。

華厳経と金光明最勝王経の謹厳な書体はほぼ同格で、界線が金泥か銀泥かでどちらかが判断できます。
華厳経は銀界線です。
紫紙金字の金光明最勝王経、華厳経、法華経の断簡は茶の湯でも珍重され、伝承筆者である菅原道真にちなんで「北野切」「紫切」「筑紫切」と呼ばれています。

古くにこの一行に切られ、表装されていましたがイタみがありましたので、こちらで古裂を回した額装にしました。

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川原寺方形三尊塼残欠
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奈良県明日香村にある、川原寺から出土した塼仏の残欠です。
塼仏は仏堂の壁面に貼りめぐらせ、祈りの空間を荘厳したものと言われています。
如来の脇にお行儀よくぴっと立つ脇侍の脚部分で、ふっくらとした足の甲、小さく並ぶ指がかわいらしい。
盛唐の影響を受けている日本の初期の塼仏ですが、その作行きにはすでに日本的な情趣が感じとれるようです。

川原寺の開基は、出土した瓦の様式から見て天智天皇の時代に当たるとされています。
天武朝以降は、飛鳥寺、大官大寺、薬師寺とならぶ四大寺のひとつとして存在した白鳳時代を代表する寺院ですが、日本書紀にはこの寺の創建に関する記述がないため、「謎の大寺」とも呼ばれています。
書紀には、写経生を集め日本において初めて一切経を書写した、との673年の記事で川原寺の名が現れます。

中世以降衰微し、今の境内で当時のものは礎石を残すのみですが、このような塼仏のかけらひとつからでも時代の息吹や四大寺として栄えたスケールの大きさが想像できます。

『仏教美術入門展』(佐野美術館 1988年)図録所載

約9㎝ × 約7㎝
白鳳時代

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橘寺 方形三尊塼仏残欠
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聖徳太子誕生の地と伝わる橘寺境内から出土した塼仏の残欠です。
中尊の如来の脚部分で、衣のひだや蓮台にのる指先までキャスト良く、表面に施した白土もわずかに残ってくれました。
橘寺は天武天皇九年に火災にあったと日本書紀にあり、塼仏の肌にその歴史がうかがえます。

塼仏とは、粘土で型を抜き焼成した板状の仏像のことで、堂内の壁面にはりめぐらせて祈りの空間を荘厳したものと言われています。
周辺の寺からも同じ形式の塼仏が確認されていますが、橘寺の塼仏が最も早い時期の制作で、比較してみると、初期のもののみが持つ濃厚な迫力があります。
残欠とは言え、手元で眺められる白鳳時代の仏像の遺品は稀少です。

高さ 10.5㎝ × 幅 9.5㎝ × 厚み 4㎝(いずれも最大)

白鳳時代

最後の画像は、東京藝術大学と黒川古文化研究所の蔵する同手の塼仏です。
その他、京都、奈良国立博物館などにも所蔵されています。

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阿蘭陀藍絵兎文盃
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古染付を写した兎文のデルフトの盃です。
月を見返り、嬉しそうな表情が可愛いらしいです。
目立ちませんが、釉薬の剥落が口辺に数カ所あります。
気軽に楽しめる発掘品もよいですが、茶人に大切にされた伝世品の清潔感はやはり尊く思えます。
(仕覆はこの盃に転用したものと思われます)

径 5.8㎝×高さ 2.8㎝

ちなみに、神田の老舗の蕎麦屋の盃と同じ大きさで小ぶりです。

18世紀

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志野呼継向付
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八枚の陶片で呼び継いだ志野の向付です。
荒川豊蔵が志野の窯跡を発見してほどない頃の、陶片がまだ豊富に発掘できた時代ならではの出来映えで、仕上がった形は無理がなく自然です。 
茶碗として長く使われたようで、箱は古く、蓋には蒔絵で「山邉」とあります。


桃山時代
径 12.4〜13.8cm 高さ 7.2cm

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中尊寺経扉絵
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写経の巻頭を飾る絵を「扉絵」「見返し絵」と呼びます。
まれに経巻から離れて扉絵だけで伝わることがあり、こちらも痛みがあったのでしょうか、下が数センチほど切られた扉絵だけの捲りの状態で出てきました。
奥行きのある、とても繊細な筆遣いで釈迦説法図が金銀泥で描かれています。
釈迦と脇侍の可愛らしさに合わせて、小ぶりな掛け軸に仕立てました。

紺紙金泥経で代表的なものは神護寺経と中尊寺経です。
神護寺経の扉絵は全ての巻に於いて、釈迦三尊の左右に一人ずつの比丘を配す説法図であるのに対し、中尊寺経の扉絵は多様です。
こちらも霊鷲山が背景に描かれた説法図であることは同じですが、神護寺経よりも比丘が二人多く、失われている下方部分には、経意と関わる物語性のある絵が続いていたかもしれません。
これも貴重な平安仏画のひとつと言えます。


平安時代
本紙 縦19.5cm×幅20.7cm 
軸装全体 縦69cm×幅29cm(軸先含まず)

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阿弥陀如来仏画
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鎌倉時代
本紙 13.9㎝×26.2㎝ 掛軸全体 28.8㎝×88.5㎝

密教画の残欠と思われます。
宋画の影響を受けていない大和絵系の表情は優しく、かつ、細部まで緊張感のある描き込みによる神秘的な奥深さもあります。

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奈良絵住吉物語絵巻断簡
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室町時代
本紙  48.3cm×14cm 掛軸全体 89.5cm×51.3cm

主人公の美しい宮姫と、その侍従の悲しんでいる場面が、心のこもった筆の運びで描かれた奈良絵です。
白描なので、その墨の線の美しさが際立っています。

母を亡くした宮姫は、継母のさまざまな悪だくみを避けて、尼となった実母の乳母をたより住吉の地に身を隠します。
朝に夕に、持仏堂の阿弥陀三尊にお経を捧げて暮らしますが、長谷寺観音の霊験により、宮姫に心を寄せ続けていた少将に探し出され、幸せになる物語。

素人画のような素朴な画風の絵巻や冊子本は、仏画の需要が少なくなった室町時代の南都の絵仏師の副業によるのがはじまりとも言われ、明治のころから奈良絵と呼ばれるようになりました。
その稚気愛すべき趣きは好事家のあいだでも親しまれ、断簡として分けられて今に伝わるものもありますが、その数は決して多くはありません。

奈良絵の冊子本や巻物は江戸時代の中期頃まで製作され、それ以降は版本が普及します。
室町時代のものは拙さの中にかえってしみじみとした味わいがあり、余白なく綴られる詞書にも時代の特徴があらわれています。

中回しに有職裂を取り合わせ、物語と響きあった表装が施してあります。

ご売約