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酒屋


4月 某日  晴れ

ここから家まで歩くと小一時間かかる、と思ったが、目の前の駅から電車に乗らず歩き始めた。
自粛を実行して夕方6時過ぎに営業している店も少ない暗めな通りに一軒、明かりの点いている木造の酒屋があった。
広い間口に嵌められている8枚の引き戸も店内の陳列棚も、建てられた当時のままだとみた。
棚には商品よりも隙間が目立つので、近いうちに店仕舞いするのかもわからない。

家にお酒は足りている。
手荷物をこれ以上増やしたくなかったが、足を踏み入れる口実に、乾きものでもひとつ買おうと考えた。
店構えから、ここの店主は江戸っ子の老人か年齢とともに気難しくなった老人だろうと予想して、てきぱき話さなくてはと構えていたら、「いらっしゃいまし」と、穏やかな老人が奥から出てきた。
その様子につい、古い佇まいに惹かれてお店に入ったと打ち明けると、「どうぞゆっくりご覧ください」と言ってくれたので店内を歩き回った。
外から窺えたとおり、掃除も行き届いていて何を手にとっても埃を感じない。
小さな缶詰をひとつ買った。
この建物は大正12年に建てられ、昭和に入って道路拡幅工事で少し後ろにひいたそうだ。
頑丈に作られた大きな木の机に地図を広げて詳しく教えてくれたとおりに歩くと、携帯電話で導かれた道よりも5〜6分早く家に戻れた。

修二会 その三


4月 某日  晴れ

修二会その三を書くには日が経ち過ぎた。
記憶の引き出しに集中してみるが、4月の終わりの緩んだ空気に覆われて、今見ているようには書けないようだ。
撮りまくったつもりでいた写真は少なかった。
見落としていたり見間違いがあるだろうけれど、一度あげると思い出すこともあってまた書き足すかもわからない。

       *


0:44 


0:46
気がつくと神官のような装束の人達が現れていた。
その人らは石段を上がり、二月堂の南出仕口の外で待機しているもよう。
その後しばらく何も起こらない。


1:00
雅楽の奏者がテントの下の席につく。


1:02
ライト消灯。
その後しばらく何も起こらない。


1:28
境内を囲む樹々は大きな結界のよう。


1:39
螺貝が吹かれると、雅楽の演奏が始まり、練行衆と先程の神官のような人らが石段を降りる。
出堂した練行衆は全員ではなさそうだ。



神官のような人らのうち、香水を入れるのであろう桶を天秤棒で担ぐ二人だけが練行衆に続いて閼伽井屋に入る(ように見えた)。
皆が入ると演奏はすぅ、と消えるように止まり、パチパチと篝火の燃える音だけになった。
閼伽井屋の中で行われている、香水を汲み上げる秘儀の気配を感じている、と自分に暗示をかけるとすぐその気になる。
自分のいるところからは中の音などは全く聞こえない。


気がつくと、神官のような人達が整列していた。
桶を担いだ二人もいる。
と、いうことは、香水が閼伽井屋から運び出されたところを見ていなかった。
再び奏楽が始まる。
その光景は神事のようだ。



1:50
二月堂に運び上げるとまたひと時静かになる。
これを三回繰り返す。


1:56


2:03


2:16
香水の三回の汲み上げが終わり、練行衆が閼伽井屋から出てきて二月堂に戻る。


2:18
この後、堂内で勤行が再開。


       *


来年も見学する意気込みだ。   

修二会 その二


松明は修二会の期間中、毎夜上がる。
この日は籠松明という、他の日よりも大きな松明が練行衆十一人分(この日以外は十本)上がるので、二週間のうちで最も人出があるのだそうだ。



20:03

松明に導かれて上堂した練行衆は、自分の居るところからは見えない北出仕口から堂内に入る。
童子は松明を担いだまま二月堂の正面側に移動し、回廊を一気に走る。 
南西の角で松明を打ち振って火の粉を落とすのは、道灯りの役目を終えて不要となった火を小さくするためだと、新幹線の中での予習で知った。
一人が堂に着く頃に、次の練行衆が登廊を上がるペースで、五本目の松明が上がったところで最初に集まっていた人たちからぞろぞろと帰路に誘導された。
例年の混み具合だと一本目で誘導されるらしい。  

いったん東大寺を出て夕食をとり、深夜1時から始まるお水取りの1時間ほど前に二月堂へ上がると、見学者は少し集まっていた。



0:02

閼伽井屋の側か、二月堂の回廊からか、見る場所に迷う。 
回廊を選ぶ。
冷えた空気と、松明が燃えた匂いが微かに残っているのを深く吸い込んでみる。
この回廊から日没は何度も眺めているが、良弁杉越しに奈良の夜景を見ていると、今ここにいるのは忍び込んだような気持ちがした。
連れのある人たちは皆、声をひそめて会話をしている。 
背後の堂内では何かしらの勤行が行われているのか、ゴト、ゴト、、と練行衆の沓音が時折聞こえる。 


0:43

鹿が見物人を見物している。

続く

修二会 その一  


3月 12日  晴れ

急に思いたって東大寺のお水取りを見に出かける。
お水取りの期間中に奈良へ行くのは初めてだ。
二月堂伝来の古美術により、何となくだけは知っているお水取りについて新幹線に乗り込んでから予習する。
修二会、が正式名称だと思っていたが、さらに正しくは十一面悔過(けか)と言い、二月堂の本尊の十一面観世音菩薩に日頃の罪過を懺悔し、その上で、全ての生き物の幸せを願う法会だと遅ればせながら知った。

他に目的もなかったので、お松明の上がる2時間前には二月堂に向かい、少し集まっていた人たちの後ろについた。

現在の二月堂は、江戸時代におこった火災の後に再建されたものだ。
博物館で展示されていることもある、焼け残った銅製の光背の記憶を頼りに、東大寺の僧侶でさえも見たことのない『絶対秘仏』である十一面観音の観想を試みた。


17:02


18:09

せっかくこの日にやって来たのに有名なお松明の場面が間近に見られなかったら、と実はそわそわしていたことに、
大きなカメラを携えて遅くに来た二人組に割り込まれても注意ができず、むっとしてそれとなく肘でぐぅっと押し返したことに、

ニュースなどで目にしていた、何本もの燃え盛る松明が二月堂の回廊に横並びする日は最終日だとわかって少し気を落としたことに、、 
日常のさまざまなことを省みた後にも次から次へと懺悔の材料が生まれた。
そうしているうちに、半時ほどの休息を終えた練行衆が再び二月堂に上がる合図の大鐘が撞かれ、お松明の時間になった。


19:26


19:27

松明は童子と呼ばれる練行衆の世話人により担がれる。
練行衆が一人づつ、松明の明かりに先導されて上堂するのを閼伽井屋(若狭井)越しに見守る。  

三月二日に若狭から送られた霊水は十日かけて閼伽井屋に届き、中の井戸に入れられるとのこと。

続く


まだ明るいうちに南千住の居酒屋へ行く。
いつものように、その店の庭の緑が見やすい席に着く。
剪定されて、どの木もほぼ幹だけになっていた。 
無口な店主のおじさんは、私が燗酒を頼むとこちらを見ながら親指と人差し指と中指で盃を持ち上げるような仕草をする。 
自分の盃を持ってきているのかという質問だ。 
私は二年ほど前に一度だけしか盃を持参したことがないが、「今日は持ってきてないです」と、日によって持参したりしなかったりしているみたいに毎回答える。
小一時間ほど経つと日が暮れかかり、板ガラスの窓越しの木々と店内に整然と貼られた白い短冊の品書きが重なるように見えてくる。
窓ガラスに店内がはっきりと映って庭が見えなくなるのまでのひとときを惜しむ気持ちが、ここに身を置いているといつも微かにわく。 
外が暗くなると、ひと昔前の家庭の台所から聞こえてくるような調理の音に意識がいくようになって、さっき惜しんだ暮れる直前の時間のことを忘れている。 

予想外


地味なことしか書けないブログと留守の多い草友舎ですが本年もどうぞよろしくお願いいたします。


1月 某日  晴れ

落ち着いた口調で「〇〇交通の〇〇が安全運転で参ります」と自己紹介したタクシーの運転手はちっとも安全な運転ではなかったので私は目的地に着くまでおそろしくて泣きそうになっていた。
乗車している間、運転手の眉と額しか映っていないバックミラーと助手席前に掲げられている乗務員証の顔写真とを交互に見たり強く目をつぶったりしていた。


1月 某日  晴れ

スーパーで売られていたアボガドがどれもこれもとても小粒だったが、ひとつ買って家で半分に切ってみると種はきわめて控えめで可愛らしく案外食べられるところが多かったのでちょっと喜んだ。
(正式にはアボカドとのことだけど私はアボガドと呼ぶ派だ)

年の瀬の過ごし方



大晦日の皇居


12月 某日  曇り

人から尋ねられたのがきっかけで、ここ二週間ほどスターバト・マーテルと言う曲を無料音楽配信サービスで聴き比べている。 
キリスト磔刑の際の母マリアの悲しみを詠んだ13世紀の聖歌の詩に、中世以来多くの作曲家が曲をつけているとのことで、歌い手や演奏だけでなく曲の聴き比べもしている。
キリストの降誕を祝う日が近づいているのに草友舎では開店時間から閉店時間まで哀しみの調べが流れつづけている。


12月 某日  晴れ

洋服売り場で目にとまったセーターに毛玉ができにくいかどうかを見極めようとしていたら感じのよい若い女性店員が微笑みながら
「毛玉をとるのも愉しんでいただけたら」
と言ったので私はそのセーターの毛玉をとるのを愉しめるかどうか、考えてみた。

ベランダ


10月 某日  晴れ

ベランダの植木鉢で今年最初の柚香菊が咲いた。
ひとつの茎の先端に咲く一番花が顔で、その少し下から短く伸びた脇芽の先の、小さな丸い蕾は握りこぶしに見える。
江戸時代の鄙びた古人形の、たとえば童子のような趣きがある。


10月 某日  晴れ

昨年の夏の終わり、ベランダのコンクリートの床に一匹の蝉がひっくり返っていた。
持ってみると少し足を動かして弱々しくジジッ、、と鳴いた。
飛ぶ力はなさそうなので傍の植木鉢の土の上にのせた。
土の色に馴染んでいてその後を注意して見るのを忘れていたが、羽が少し破れているだけで今もまだ土にはかえっていない。

十人衆


8月 某日  曇りのち雨

拝観を申し込んでいた無住のお寺の最寄り駅で下車し、お堂の鍵を預かる人に電話をしたら、その人が軽トラックで迎えに来てくれることになっていた。
初めて会う私の目印として、
「リュック背負ってますやろ!」
と、勢いよく言われ、
「背負ってません!眼鏡かけて地味な服装です!」
と咄嗟に思いついた自分の特徴を伝えた。
駅前に人は少なく、お互いはすぐにわかった。
歩くと45分程かかる道は車だと10数分で着いた。

軽トラックを降りると、その地区の人らしき男性が外でひとり待っていた。
お堂の鍵を開けるのでもなく、二人は立ち話をはじめる。
スクーター、或いは徒歩で、あと3人現れた。

30年程前に発行された本に、
「寺の運営が、檀家より選ばれた『十人衆』によって行われる、『座中制度』が残っているのが興味深い」
と記述のある、その十人衆のうちの5人なのだなと思い当たった。
なかの一人が
「ほんまは10人来るんやけどそないに囲まれたらお客さん一人なのに仏さん見づらいやろうから半分や」
と言ったので
「座中制度の十人衆ですね」と、知っていることを披露してみたら相手はきょとんとして特に褒めてくれるでもなかった。

境内にひとつだけ残っているお堂は南北朝時代に再建されたもので、正面、左右の三面の扉を開けてもらうと古色づいた堂内には存分に自然光がはいる。
5人から口々に促されて仏像のすぐ近くまで寄った。
周囲の長閑な環境には意外な、院政期の都作と思わせる三尺ほどの釈迦如来と地蔵菩薩だった。
まず手を合わせて、それから仏像を拝観しているあいだ、5人はずっと何かわいわいと話している。
関西弁のせいなのか、二人三人が同時に喋ったりするからか、実人数よりもにぎやかだ。
この地区の日常を見るようでうれしい。

65歳から80歳までの男性10人でお寺の管理を引き継ぐのだそうだ。
貸切バスで来た30人の拝観を受け入れた先日は10人で対応した、
明後日も東京と埼玉からひとりづつの申し込みがある。
ここは海が隣接していない奈良県だが、明治時代からの洋装の普及により家内工業として貝ボタンを製造する家が多かったとのこと。
昭和40年代に安価な合成樹脂製ボタンに圧されて製造を続ける家は減ってしまった。
軽トラックの人は77歳で、この5人のなかでは一番年配とのこと、まだ貝ボタンを作っている。

日本の各地から見学にくるこの平安時代の仏像を特別に敬った様子でなくても大切にお守りしていることがこの地区の人たちからも伝わってきた。
三尊形式にして一緒に安置している江戸時代の地蔵菩薩も区別をしていないようだ。

練習


7月 某日     曇り時々雨

東京は先月からほとんど太陽が出ていない。
明快な暑さはまだ感じられないので、7月とは思えないままこんなに日が経っている。

休日だが、雨が降ったり止んだりの天気のなか自宅から散歩に出る気分にもなれなくて、部屋の片付けなどする。
雨の止み間の曇天の下、近所の子供達が外に出てきた。
ボール投げやスケートボード?などで遊んでいる声にまじって
ジーーーーーー
と聞こえてきた音に耳をすます。
自分が今年初めて聞く蝉の声なのか機械か何かの音なのか、いつジーーーからみぃーんに変わるのかと片付けの手を止めて集中したけれども、それっきりだった。
すっかり秋めいた頃にたった1匹仲間より出遅れた蝉の声は少し切ない気持ちにさせるが、こんな気候に早まって土から出てきた蝉のぎこちない鳴き声もそうだ。